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概要

今解きL1サンプル

  日本各か く地ち に「はげ山」 日本では、戦せ ん後ご 間もないころまで、木がほとんどない「はげ山」が全国各か く地ちで見られた。特とくに人が住んでいる周ま わりの里山と呼よ ばれる場所に多かった。人が山の木を切りすぎてしまったためだ。 木は、燃ね ん料りょうとして料りょう理り を作ったり、暖だんを取ったりするのに使われた。昔話にある「おじいさんは、山にしば刈か りに出かけました」の時代が続つ づいていたのだ。「しば」とは雑ぞ う木き ( 建け ん築ち くや家具には使われない様々な木)のことだ。 日本の森林の歴れ き史し を振ふり返かえると、縄じょう文もん時代の終わりに農業が始まるとともに、森林の減げ ん少しょうが始まったと考えられている。田畑を造つくるために森林が切り開かれたことや、家を造つくるための材ざ い料りょうにされたことが原げ ん因い んだ。特と くに戦せん国ご く時代から江え戸ど時代にかけては、人口が大きく増ふえたこともあって、森林の減げ ん少しょうは加か速そくした。 明めい治じ 時代になると、荒あ れ果は てた森林を何とかしようと、当時の政せ い府ふ は法ほ う律り つをつくり、一部の森林を切ることを禁き んじた。また、木もく材ざいの生せい産さんを増ふ やそうと、植林する人たちも増ふ えてきた。 しかし、その後相次いだ戦せ ん争そ うの影え い響きょうで、必ひ つ要ような木も く材ざいも増ふ え、森林の破は壊かいがますます進んでしまった。戦せ ん争そ うが終わると、今度は社会や経け い済ざいを立て直す復ふ っ中世以い 来らいの農村の風ふう景けいを残のこすといわれる、大分県豊ぶん後ご 高たか田だ 市の田た 染しぶの荘しょう。人々が手を加くわえることで守ってきた里山(クヌギ林)とため池が、毎日の生活と農業を支ささえている。この地ち 域いきを含ふくむ国くに東さき半島・宇う佐さ地ち域いきの伝でん統とう的てきな農業は2013年5月、国こく連れん食しょく糧りょう農業機き関かん(FAO)の世界農業遺い産さんに認にん定ていされた=2011年1月囲い炉ろ裏りにくべるたきぎを準じゅん備び する男だん性せい。かつては燃ねん料りょうを森の木に頼たよる家が多かったが、今ではガスや石油になったところが多い=2004年1月、愛え 媛ひめ県小こ松まつ町(現げん在ざいの西さい条じょう市)18